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ドラマ「JIN-仁」より「樹木谷」その3

 そういえばここまで樹木谷坂が「地獄谷」と呼ばれたことについて全く触れていませんでした。

といってもこれ、楽しみを後にとっといた訳ではなく、どうやら“「じゅもくだに」→「じもくだに」→「じごくだに」と、ちょっと訛ったのが始まり“といわれる方が多いようです。

ただしそれが定説と言うわけではなく、むしろ反対の経緯で樹木谷と呼ばれるようになった方が後だったなんて話もあるようですが、どっちにしても名誉な名称とは言いがたく、江戸時代の庶民がこの付近を通る際はあえて遠回りをしてまで地獄谷を避けて通ったなんて話もあるとかないとか・・・

 

ではそろそろ・・・と言うか、この付近は個人的に思い入れの深い場所が多くて、さんざん通ったラーメン屋とカレー屋、顔を見られただけでメニューを決め付けられる弁当屋、何度通っても全然目を合わせてくれないジャンク屋などなど、周辺の話をしていると話が先に進められそうに無いので、橘恭太郎が斬り合いをしていた場所について探ってみたいと思います。

 

まず仁が病院の階段から落ちて江戸時代にタイムスリップした後、緊急医療用パッキングを拾った場所まではそれほど移動している描写が無く、また更にそこから移動した描写が無いまま川を発見しているところから、仁が最初に降り立った場所から川まではさほど遠くはなさそうです。

また、川で水を飲んでいるときに言葉は明瞭でないにしろ、何かしらの人の声が聞こえているところから近い場所で斬り合いが行われていたことが分かる。

その後緊迫の戦闘シーンに紛れ込んでしまう仁。

あわやと言うところで水戸藩士が現れて仁と恭太郎は一命を取り留めます。

 

ここまでを一旦整理します。

1)仁が最初に降り立った場所から川までは(コマ割りを参考にすれば)さほど遠くない。

2)川から見える(または聞こえる)範囲で斬り合いをしていた。

3)駆けつけた?水戸藩の藩士が「屋敷の前の道で斬り合い」があったと言っている。

 ※ただし、斬り合っている場所、斬り合いが始まった場所が水戸藩邸の前とは言っていない。

 

原作の方を見ると、仁が勤める病院とは明言していないが、仁が病院に戻るシーンでどう見ても順天堂医院と思われる建物が描かれているので、1)の仁が降り立った場所は順天堂医院から神田川の間あたりを想定していると推察します。

現在順天堂医院がある場所は、当時は定火消御役屋敷なるものが存在したようなので、林の中に落下した仁は順天堂医院の敷地よりは南側に出ていたのでしょう。(もし屋敷内に入っていたら、”忍び込んだ不逞の輩”扱いされて即刻取り押さえ、逆らえば殺されていた可能性もあるでしょう。)

順天堂医院の目の前には江戸時代末期から現在まで変わらず神田川が流れています。

神田川沿いの外堀通りは坂になっていて、順天堂前は坂の中腹にあたります。この坂は東に行くほど坂を上り、西に行くほど坂を下り、下りきった先に現在の東京ドーム辺り、江戸時代には水戸藩邸があった場所に行き着きます。

原作で仁が川から斬り合いの現場まで移動するシーンでは、仁は常に上の方を見ながら移動しているので、あまり西側には移動しなかったのかとも思いました(この辺りは仙台堀とも呼ばれ、江戸時代始まってすぐの頃に有名な伊達政宗徳川秀忠に命じられて、当時本郷台地を避けるように流れていた神田川を台地に道を作り、そこに川を流したので、現在の御茶ノ水駅付近の神田川だけ西側の東京ドーム付近に比べて極端な崖になっています。)が、3)の水戸藩士が「屋敷の前の道で斬り合い」と言っている所を見ると、外堀通りは下りきっていたのかもしれません。

この辺りは明確な描写も無いので不明ですが、原作では斬り合いをしている小道に傾斜は感じられず、且つ道の片側が塀でもう一方が神田川沿いに描かれていたのと同様の竹林があるところから、水戸藩邸と神田川の間、現在の水道橋(駅の方ではなく橋そのもの)北側付近が妥当のように思われます。また斬り合いがあった場所には背景に竹林が描かれていますが、最初に仁が降り立った場所には笹はあっても竹は1本も描かれていないので、斬り合いがあった場所と仁が降り立った場所は違い、水戸藩邸に近い場所に移動していたのかもしれません。

 

ただし原作では塀と竹林の間に距離は感じられないのに対し、当時の地図を見ると水戸藩邸は神田川との間は御三家に数えられる水戸藩邸前の門があっただけに(江戸時代の神田川に掛かる橋には防衛の為の門があった。)そこそこ距離があったようなので、上記の塀は水戸藩邸の塀ではなく、すこし外堀坂を東へ行った現在の都立工芸高校と昭和第一高校辺り、当時の地図だと建部六左衛門の屋敷の塀がそれではないかと推察します。

 

と、ここまでは順調に当時の様子を想像できたつもりだったのですが、この考えには1点おおきな問題がありました。

原作で水戸藩士が登場する場面では、左に塀、右に竹林があるので、建部氏の屋敷の前での話なら、水戸藩士は藩邸とは反対側の湯島聖堂のほうから坂を下りてきたことになります。

それは不自然だからと、水戸藩邸の前だったことにしようとしても、現在外堀通り神田川の間にあるビル群は、当時はなにも無い場所だったようだし、水道橋近くと言うことになればそこには神田川に掛かる橋に設けられていた門があったはずで、そこの守衛が水戸藩士より先に異変に気付いたはずではないかと思いますので、焦っている様子が無い水戸藩士(登場シーンから、走ったりまくし立てたりする描写が無い)が先に到着するのに若干の違和感があります。

それとも詳細な経緯を書いていないだけで、もっと北側の道に入り込んでいたのでしょうか?

当時の江戸の地図には、ちまちまと竹林を書いているわけではないので、斬り合っている場所の竹林が川沿いの竹林と同じとは限りません。

その後橘恭太郎を運ぶシーンでも、さほど大きくない家々の間を通っているところを見ると、建部氏屋敷から橘家の最短ルートと思われる「外堀通りを東進→定火消の屋敷の角を左折→突き当たりの円満寺を右折→円満寺から現在の樹木谷坂までにある村田家、稲葉家の屋敷を越えて自宅」では、決して小さくはない武家屋敷周辺を進んでいるこになり、原作で描かれている小さな家々の説明がつかなくなってくる。

となると斬り合いが行われていた場所は東京ドーム東沿いを走る白山通り、当時の青山大膳邸の壱岐坂あたり、現在のジョナサンか松屋かスズキ辺り?と言うことも考えられる。

このあたりなら、 さほど大きくない武家屋敷が多数建っていたようなので、本郷通りまで坂を上って から東側に移動し、村田家、稲葉家の屋敷を越えて自宅へのルートも不自然ではなくなります。

 

とまあ偉そうに長々と考察の真似事をしてきましたが、結局「どこで斬り合いが行われていたか」については決定打となるところまで行き着けませんでした・・・

 

 

あと、全然関係ないですが、土地勘を思い出すためにグーグルマップを使って本郷1丁目あたりを調べていたら、付近の地図を使って懐かしのパックマンを遊ぶことが出来ました。

最近の地図はこんなことして遊べるんですね。

幕末このあたりを往来していた人は(と言うか今日まで自分もですが)こんな時代が来るなんて誰も想像できなかったでしょうね。