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ドラマ「JIN-仁」より「樹木谷」おまけ

もう一つ、ドラマの方で気になったというか、どうしても訂正させて頂きたい事があったので一筆。

 

第1話の中で、仁が神田川沿いに立って対岸を見るシーンが何度かありましたね。(神田川とは一度も言っていませんが、原作を見るとドラマの方でも神田川を意識しいているのが分かります。)

関東平野に遠くまで数多くの屋敷が並び、正に江戸時代の江戸を見事に再現して・・・

といいたいのですが、江戸はそんなに平地が多くありません。

むしろ江戸城の周りは坂だらけです。

そもそも江戸城自体が武蔵野台地の東端の高台に築かれていて、周辺は谷の宝庫です。

実際、橘恭太郎の住む樹木谷坂も、その北側に下った先にある現在の新嬬恋坂も、新嬬恋坂を越えて上る横見坂も、その先の湯島天神前の春日通も全て結構な勾配があるか、勾配はゆるくても長い坂ばかりで、橘恭太郎が斬り合いをしていたと思われる後楽園付近に繋がる外堀通りも、壱岐坂も、とにかくこの周辺は坂しかない。

これが神田川の向こう側になれば変わるのかと言えばそんなことは無く、周辺より一段高台に築かれた江戸城周りはもちろん、御茶ノ水から靖国通りに向かうにも多数の坂を有し神田川を挟んで伸びる本郷台地、九段下から飯田橋まで多数の坂を有する江戸城付近を先端とする淀橋台と、江戸城から神田川までのごく僅かな土地でさえ多数の坂で埋め尽くされています。

江戸、東京は関東平野と言う名前とは裏腹に非常に起伏の激しい地域なのです。

 

ただ、今の台東区の東側、隅田川方面はすこし事情が違います。

上野の東側にあたるこの辺りには、北は今の三ノ輪付近から南は浅草橋付近まで千束池と呼ばれる巨大な池があり、その東側には南千住から浅草の方まで山が連なっていたそうで、古くは江戸城周辺同様起伏の激しい土地だったようですが、江戸時代より前、戦国時代には当時の領主後北条氏によって浅草付近の山を削って千束池を埋め、江戸時代に入ると三ノ輪から吉原を通って隅田川付近まで築かれた日本堤の為に、さらに浅草以北の山を削ったため、江戸中期にはどんどんなだらかになり、仁の時代ではほとんど平地になっています。

現在この付近を歩いてみると分かりますが、まるで起伏は感じられません。

といっても外堀通りから神田川を挟んで向かい側にこの平地を見ることはできない(神田川を挟んだ先は南、隅田川は東側にある)ので、ここは関東平野をイメージ優先で描いたのではないかと推察します。(実際、起伏の激しい地形をテレビで見せられて「これが江戸です!関東平野です!!と言われてもしっくりこないように思います。)

 

ドラマに使われたCGなので細かいことを言ってもしょうがないのですが、実際に橘邸付近を訪れると勾配の激しい坂や、崖のようなところを階段で上り下りすることも多いと思いますので、付近を歩く際には「坂も楽しむ」つもりでご覧頂ければ幸いです。